2012年01月13日

「こころの余裕」と「いえしごと」 〜わたしの辞書に完璧という文字はない!?〜

「完璧な家事」の定義を問われたら、答えに困るけれど、
ほこりがなく、鏡や窓がピカピカで、物が片付いていて、
急な来客にも困らないような家を保つこと。
日々の食事の用意は、ささっとできて、洗濯物も、タンスにきれいに収まっている。
そんな家は、一般的な理想のような気がします。

「ゆるゆる*いえしごと」を始める前も、完璧を目指したことはないけれど、
心の奥底のどこかでは、最終的な理想は、完璧に近い状態、と、
思っていたかもしれません。
あるいは、「ほどほどきれいでいい」と、思い始めてからも、
気持ちのどこかで、「ほどほど」というのは「妥協の産物」とか、
「目標レベルを下げた」とか、思っていたかもしれません。
でも、今は、完璧は、完全に「捨てました」。

ある番組で、三谷幸喜さんが、「プロとは何か」という問いに対し、
「期待に応えること」と答えていました。
だとしたら、わたしは、誰の期待に応える必要がある?
そう考えると、特に誰もいないのです。
強いて言えば、自分、でしょうか。
プロ=完璧、と置き換えるのは違うかもしれないけれど、
それになぞらえて考えた場合、わたしに関して言えば、
自分以外の誰かの期待に応えるべく努力する必要は、ない、
ということになります。(家族の期待は「ない」ですから)
そうなると、何のためにするのか?
極端な話、しなくても、死ぬわけじゃなし??
なぜするか、の答えは、自分が満足、あるいは納得するため。
わたしがこれでいいと思い、不快でなく、生活に支障がなければ、
洗面台の鏡が、曇っていようが、お風呂の隅が黒ずんでいようが、
かまわないのです。
……わたし、アマチュアで、じゅーぶん!……です!!
それに気づいた時から、本当の意味で、完璧を目指すのはやめました。

たとえば、洗面所の鏡を磨くとします。
全体をふいて、汚れがひどいところは、ていねいにやって、
「きれいになった」と思ったらそれでよし。
道具を片づけて、決めた時間内で終了、です。
そのあと運悪く、小さくポツッと一カ所、拭き残しを発見してしまったとしても、
やりたくなければ、それは、また今度やればいい。
しかし、某有名ホテルのルームメイドだとしたら、たぶん、これは許されません。
いくらぐーたらなわたしでも、某ホテルの従業員だとしたら、
気がついてしまった以上、また道具を取り出して、
「ポツッと」を、その場でふき取ると思います。
でも、わたし、メイドじゃないもーん(笑)
また、ある時、ベランダの掃き掃除をします。
端から掃いていって、ちりとりでゴミを取ります。
その時、どうしても最後のゴミが、うまく取れなかったとします。
でも、それはそれで良し。風が吹けば、飛んじゃうし。(うわああ、ごめんなさい)
しかしながら、某有名寺の石庭の庭師だとしたら、きっと、そうはいきません。
場合によっては、小石のひとつまで、気を配らないといけないでしょう。
ラクすることばかり考えているわたしとて、
もしも、その仕事をまかせられているならば、
できるかぎり、美しく見えるよう整えると思います。
でも、わたし、そこの庭師じゃないもーん(笑)
禅僧にとって、掃除や食事作りは、修行(作務)のひとつ、だそうです。
でも、わたしは、禅僧ではありません。
だから、いえしごとは、「修行」ではないのです!
ああ、禅僧でなくて、本当に良かった(笑)
自分と家族が、不便でなく、不快でなく、暮らしていくのに困らない程度に、
片付いて、清潔であれば、十分です。
だから、「ほどほどきれい」は、妥協でも、中間点でもなく、「最終目標」です。
そう決めたら、ラクに家事ができるようになりました。
あの「3つの基本」は、こんなぐーたらで、ゆるゆるな考えのもとに、
成り立っているのです(今さらながら、滝汗)
ラベル:家事
posted by かうべる at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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